美しき挑発 | 幕間だけの天井桟敷

幕間だけの天井桟敷

  
  適当な湯加減で書いています

幕間だけの天井桟敷-美しき挑発



7月24日 土曜


諸業務調整のため、早朝から岡山市へ。


本来は平日にやっておくべき事を土曜日にわざわざやらなければいけなくしてしまった自分の不甲斐なさを呪いながら新幹線に乗り込む。

いやこんなトンマな僕でも、マジメにやろうと常日頃から血眼になっていろいろ取り組んでいるのだ。でも、そんなときに限って暴力的な眠気に襲われたり、急にお腹をくだしたり、なんかノラなかったり、とつぜん恋に落ちたりして、結局間に合わないこと毎度毎度。


もうやだこんなユルユル人生。

自分を変えたいどころか、書き換えたい。転職、いや転生したい。「悟りの書」が欲しいわ!まあ「遊び人」だから仕方ないんですが。


お昼ごろに神戸へ移動。

次の用事まで時間があったので念願の「レンピッカ展」を見に兵庫県立美術館へ。 

 
幕間だけの天井桟敷-兵庫県立美術館


5月に宣伝を見てから、ずーっと行きたいと思ってたが、やっと想いが叶いエキサイト。最終日前だったから大混雑かと思いきや、予想よりかは空いていた。


欧州各地の美術館から、個人所蔵のものまで、世界中の至る所から集めてきたラインアップの多彩さに主催者側の凄まじい気迫を感じる。たぶん海外の美術館も含め、僕が今まで行った美術展で、1,2位を争う見応えとボリュームだったと思う。 


作品は当然ながらも、大きく派手なピアスを耳につけて煙草をくゆらす矍鑠としたレンピッカの笑顔の写真がとても印象的だった。それはきっと、亡くなる直前まで絵筆を握り続けた彼女の、波乱万丈ながらも充実した人生を投影した笑顔だったのだろう。


人の顔立ちはその人の人生の履歴書。

僕もさらに努力を重ね、いまの奇跡的なダメコラボレーションの「顔立ち」を少しでも補修していかないといけない。


そんな決意を胸に秘めながら、かなり適当な感じで最後の仕事をFINISH。

夕方から母校である中学校の吹奏楽部の夏祭りコンサート(大阪)に飛び入り出演するため急いでJR三宮駅へ。


しかし、こういう時に限ってタクシーがつかまらない!

いつも寝過ごして終電を逃した時は、嬉々(危機)としてタクシーが大量発生するというのに、、、なんたる薄幸。

やっとこさつかまり、全速で駅まで飛ばしてもらい、忍法「階段2段飛ばしの術」でホームに向かう。 向かうものの、、、常日頃どんな時でもタイミングの悪さでは誰にも負ける気はしないのだが、この日も僕が生まれながらにして背負った宇宙の法則が見事に発動。 

乗るはずだった新快速に乗り遅れてしまい落ち込む。去りゆく新快速を見つめる僕を美人の車掌さんが「プクスッ」と笑ってはった。そんな美しき挑発いらんわ!


まさか交通機関の接続もダメコラボレーションとは。 なんて笑えないマンガ人生。


幕間だけの天井桟敷-夏祭り


そんなこんなで、ようやく会場である母校(小学校)に到着した頃には、すでにコンサートが開始。いやもう情けなさすぎて後輩たちや顧問の先生にとてもじゃないがこんな履歴書は顔向けできない。 なのでとりあえずビールを飲んで全ての記憶をRESET!


小洒落た演奏を聴きながら、アルコールの爆発的な美味さに脳がとろけそうになりながら、ふと周りを見てみる。

祭りの雰囲気と提灯にうっすら輝いた小学校の校舎。

僕が卒業したこの小学校は、往時の姿はほとんど全て留めていない。そこにはアンバランスなまでの新築の校舎が不思議な冷たさを携えて佇んでいた。


思い出というものは、自ら描いた過去の風景をめぐる旅でもある。


その描いた風景が今はもうここには無いということで感じる、一抹の寂しさと、そして「過ぎ去った年月」の重み。


一方で、演奏している中学生たちの姿は、僕らが生きてきた時代の風景の鏡を見ているかのようで、何だか強烈なノスタルジアをそこに感じた。


本当に何も怖くなかったあの時代。

その時その時を生きる事に精一杯を賭けてた時代。


そんな「風景」を見ることで、ちょっとうらやましく思えて、そして少しは昔に戻りたいかなと思う時もある。


だけども、僕は"あの時代"を確かに生きた。



だからこそ、"もう一度"は無理なのだ。