胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ | 幕間だけの天井桟敷

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  適当な湯加減で書いています

幕間だけの天井桟敷-胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ

なんというあっと言う間の2010年!
実はまだ部屋の大掃除が終わってない!

昔のちょっとやりすぎなイタイ写真や、顔からヨガファイヤ…、いやヨガフレイムが噴き出そうな卒業文集を読み返しているうちに、H2Oよろしく「想い出がいっぱい」状態になって遅々として進まんのです。ほんともう、いったいどこにあるというのですか僕の大人の階段。

そういうわけで、今年も最後の最後までダメ人間のハイウェイを突っ走りました。
年の初めは上々な滑り出しか、、、と思いきや、3月に地下鉄にクラッシュし左足を負傷して「病院」という名のパーキングエリアへ入場。

それからあれよあれよと言う間に、腫瘍やら腎臓に異変が発生し(というかモトモトからだったのだが)、パーキングエリアどころかサービスエリアへしっかりピットイン。

このまま永久にサービスエリアに居るのは嫌だったので、ハイウェイを一度抜け出し、5月にイタリアへ一人旅。

ナポリでピッツァ・マルゲリータを最初に発明した店に行き、本物がもたらすあまりの美味さなマルゲリータの破壊力に、目からウロコが2億枚ほど落ちそうになった、いや落ちた。

帰国後、このまま黙ってハイウェイに戻っちまおうと軽く屁をこきながら油断していたら、もう一度病院という名のサービスエリアから召喚状が。
素っ裸にされたあげく、ありえへん場所にありえへんモノを入れられる精密(?)検査を受け、いちおう異常無しの結果を貰ったが、この日の出来事が数ヶ月ほどTRAUMAになって違う意味で「異常」に。
というよりNO麻酔であんな検査が存在するとは。
ほんとヘンな意味で驚愕。世界FU・SI・GI発見。

ようやくいちおう健常状態に戻ったと思ったのもつかの間、9月の終わりに、大切な人が亡くなってしまった。
年末年始は実家に来て、テレビを見ながらお酒を飲み、そうやって家族みんなで楽しく過ごした歳月を、この再びめぐってきた年末の歳時に改めて偲ぶ。


その幸せがいつの間にか当たり前だったと思っていたいつかの日。

「辛い」と「幸せ」は字が似ている。たった一本の横線があるかないかでこうも違う。本当に辛い思いをした人が本当に幸せになれるのだろうか。もちろん真理はわからない。でもそれがそうであって欲しいと、今は思いがまだ胸の奥で少し滲む日々。

この前の日曜日が百か日の法要。
百か日は「故人への悲しみのために泣き暮らしていたのを泣き止む日」という事を僕は前に友人に教えてもらった。それを僕は話した。

「幸せっていうのは…」
その後に言葉を繋げることなく、むこうのご家族の方が笑って話すのを止めた。

後に続く言葉はなんだったのだろう?
たんに考えがまとまらずに話すのをやめたのかもしれないが、いまじっくり考えると、そのあとの言葉をあえて紡がないことで、あれはある意味、「いまを生きる人」への究極の問いかけのようにも思える。

そういう私の2010年。
私に関わってくださったみなさま、本年もたいへんお世話になりました。
2011年も引き続きよろしくお願いします。

最後になりましたが、先に逝った人たちの遺志を胸にしまいながら、行く年に想いを馳せ、来たる年にたくさんの希望がありますよう。

そして、 「幸せっていうのは…」、そのあとに続く2011年のそれぞれのハイウェイを走り、それぞれの言葉を紡ぐであろう、「いまを生きる」人たちに胸いっぱいの幸せを祈って。