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幕間だけの天井桟敷

  
  適当な湯加減で書いています

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・マルタ国際空港にて


この旅行で一番印象に残っているのは、空の青さや海の青さにはじまる「青」なんですが、今回はその青色をフォーカスした写真を一心不乱にピックアップして、ここに載せていきたいと思います。


まずはマルタ版、「青の洞窟」。

青の洞窟と言えば、イタリア・カプリ島が有名ですが、マルタにも青の洞窟なるものがあり、本場に勝るとも劣らない青さっぷりを堪能できます。本場はどんなんか知りませんが。


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チケットを買って7人乗りぐらいの小舟に乗り込みます。

 
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岩肌の底にある洞窟
 
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ボートが小さいので、風速10mぐらいだったか…少しでも強風が吹くと催行中止になるようですが、この日は風も穏やかで綺麗な色がしっかり出ていました。


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・海に手を突っ込んで小タコを見せる船員さん


「グロテスクなのは嫌いよ~」と嫌がる外国人のおねえさんたちがキャアキャアはしゃぐかたわら、写真に映っている右のおねえさんが、僕にはどうしてもアメリカの「ライス元大統領補佐官」にしか見えませんでした。いや、めっちゃ気さくでええ人やったんですけどね。


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・青の洞窟の俯瞰写真


で、マルタには本島とは別にゴゾ島という島もあるんですが、ここも同じような青の洞門があります。別名「azure window(アズール・ウィンドウ)」。直訳で「空色の窓」

 
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断崖絶壁にえぐられるようにしてそびえ立つ空洞を「窓」に見立ててwindowと呼ばれているとのこと。先の青の洞窟とは違い、かなり波の動きが激しく、長年の雨と風の浸食によってこういう地形ができたとの現地人談でしたが、こんなうまいことポッカリいくんですね。


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・首都ヴァレッタ市街から対岸の街をのぞむ

 
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・港の風景


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・地中海と水平線


ここの海の青さは凄まじかったです。「青」というか「緑青」に近い感じ。

海水浴にはうってつけじゃないでしょうか。

 
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・城砦からの首都ヴァレッタ市街


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・ヴァレッタ市街遠景


マルタに行こうと思ったそもそものきっかけは中学生ぐらいに見たテレビの旅番組でした。その時に見た風景がまさしくこの写真の風景だったことに気付き、ちょっとした感涙。

10数年来の希望が叶ったんだなって。


続いて、次回はマルタの夜景編です。

幕間だけの天井桟敷-えっちの日  


町の商店街を歩いていたらこんなハードコアなのれんが掛かっていた。


「えっちの日」


あまりの衝撃的フレーズに、時間が逆行していくような、日本以外全部沈没していくかのような不思議な気分になり、そのまま僕の頭に雷が落ちそうになった、いや落ちた。


そうか、今日はえっちの日だったのか、早くおうちに帰って準備せねば!

と思いきや、最近の僕と言っちゃぁ、もうあなた、仕事ばっかで女っ気ゼロ。まあ、もともとゼロなのだが。


それにしても「えっち」てひらがなで言ったら、J-POPみたいな口当たりの良さがあるが、ナンダカンダ言ってもつまるところは「H」。諸説さまざまではあるが、基本的に「変態」のH。さらに噛み砕いて言うと「HENTAI」の頭文字である「H」を取ったことに由来している。


世の中には「H(エッチ)のあとにI(愛)がある」というシャレた言葉遊びもあるわけだが、それもひとたび換言すれば、「HENTAIの後に愛がある」というバッドチェンジを成し遂げてしまうわけで、そう考えると、何か哀しいものが胸にこみ上げてくる。


また、「キャー!! のび太さんのH!」という誰もが知るしずかちゃんの名文句も、つまるは「キャー!! のび太さんのHENTAI!」という意味であり、決して風呂を覗いているのび太ではなく、越えてはいけない一線を超えてしまったロングコート姿の危険なのび太を、ややもすれば脳内にPOP-UPさせてしまうのである。


そんなことを考えていたら(考えるなよ)、近くにあったレストランのディスプレイにこんなものが。 

 
幕間だけの天井桟敷-Bランチ


「Bランチ ハンバーグ&ポークステーキ ¥950」


確かにハンバーグは絶妙の焼き加減で左に置かれているが、ポークステーキについては「焼き加減」どころか、それ以前のワイルドたっぷりな元の姿のまま陳列されている。


しかも、前列のサヤエンドウの黄色味を帯びた壮絶なセピアっぷりも捨て置けない。「トウが立つ」とはまさしくこのこと。加えてブタさんは丸焦げにされる直前なのか、何とも言えない全てを悟った解脱の表情なのも、胸の深いところをくすぐっている。ブタ(BUTA)さんゆえにBランチ。ジャストなワビサB感がたゆたう陳列棚。 


「H」のあとに「B」が来たし、お次はなんでっかと思って歩いていたら、しまいには「大喜利」を挑まれてしまった。


幕間だけの天井桟敷-大喜利


面白いのが整った人、誰か教えてください。


ちなみに本日7月6日は、この味がいいねと君が言ったから「サラダ記念日」ですね。そんなあなたにサラダ、ドリカムつながりでその次の日は、7月7日、晴れ。つまりもう七夕。


ところで冒頭の写真、「えっちの日」は、歩いて5秒後にのれんの左端が見えて、「ぬえっちの日」というご当地ダンゴを売り出す日ということでした。

はい、すんません、言葉一つでこんなに宴たけなわになってしまって。 


というわけで、七夕は「もうちょっと落ち着いてくれよ、お前(=俺)」が短冊の願い事。ああ、そういえば"彦星様"のスペルは「H」iko「B」oshiさまでし(以下略)

 

幕間だけの天井桟敷-monochrome mindscape  


日本語には「慇懃無礼」という言い得て妙な表現がある。

畏まった言葉、へりくだった言葉を並べすぎて、結果、聞く側を耳立たせてしまうのは珍しい話ではない。


つい最近、仕事でお会いした仕入先の部長職の方と挨拶した際の一言目が、

「営業部長をさせていただいております○○と申します」

だったのだが、自分の会社で決定された役職に就いて与えられた仕事をしているわけなのだから、そんな役職や役割にいちいち「させていただく」と付けるのは、少なくとも僕の中では「?」となる。

ふつうに「担当しております」とか「営業の○○と申します」で十分ではないか。それこそ慇懃無礼と思われても仕方ない。


反対に、この国の風土なのか文化なのか、「うぬぼれ」や「思い上がり」が悪しきものとして扱われることが多いが、僕にはどうもそれが腑に落ちない。


「高飛車」という言葉があるが、これは将棋において自らの飛車を敵陣向かって高く進めていく攻撃的な戦法に由来している。リスクも含めた上で敵陣を突破しようという気概が少なくとも当人にあるわけなのだから、逆にそれは自信に、誇りに思って良いと思う。


「能書き」だってそうだ。もとは薬の「効能書き」の「効」が抜け落ちた言葉だが、自らの価値や長所を把握してそれをしっかり述べることの何が悪いってんですか


むしろ、無駄な謙遜や無意味な卑下を連発されるほうがよっぽど腹立たしくないですか?


この前、美容院でおしゃべりしたビューティホーな店のおねえさんが、 「えぇぇー、私みたいなつまらない女なんか全然モテませんよぉー」 と謙遜してたのだがこれがまた気に喰わない。

こういうのを聞くにつけ、「じゃあ、あなた、そんなにつまらないモテない言うんだったら、こんな僕とでもつきあってくれるんですか?」と文句の一つも言ってやりたくなります。ていうか、つきあってください。


ひとつ断っておくが「見栄っ張り」と「うぬぼれ」は違う。

持ってやしない高級車のことをあたかも持ってるかのように人に自慢したりするのは見栄っ張りのすることで、これは人としてやや哀しい。

ただ「うぬぼれ」は、気持ちの高ぶりや興奮を自ら磨き上げ、そしてそれを結果という形に昇華させ自己完結するという、ある意味高尚な行為なのである。そう、うぬぼれも時には大事なのだ。


今は亡き、岡本太郎氏は「芸術は爆発だ」などの名文句をはじめ、他にも「ピカソを超えた」「決意の凄みを見せてやる」など心に残る言葉が多い。


その中でもとりわけ印象深かったのが、氏がパリとニューヨークで個展を開く前に、

「この度あちらへ行かれて、何を得て来られるのでしょうか?」

と尋ねられて答えた言葉。


「いや、こちらが与えにゆくんです」


痛快で敬意さえ覚える「うぬぼれ」とは、まさしくこのことだ。
 

この前、無性に「とろろそばが食べたい、嗚呼食べたい」となったので、久しぶりにプチ自炊を敢行した。この際やから徹底的にネバネバさせたろと思い、近所のスーパーにて山芋、オクラ、納豆を購入。


山芋の皮を剥き、狂ったように下ろしで擦り崩す。

鬼のような顔をして納豆をかき混ぜて粘りを増強。

出来合いの市販ダシに砂糖、みりん、鰹出汁と鯖節等を少量追加。

オクラを塩ずりしてから、沸騰させたお湯に10数秒投入、色が鮮やかになった時点で冷水に晒す。十分に冷やしてから、5mm幅ぐらいでCUT!


でけた。

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幕間だけの天井桟敷-納豆オクラとろろそば3


このまま食せばまだヴィジュアル的にふつうだったが、気が触れたのか、納豆とオクラの皿を取り出し、「えいっ!」とやってしまう。


 
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こっ、これは非道い。

ナリだけを見れば、常軌を逸したカオスっぷり。蕎麦なんか納豆なんか芋なんかオクラなんかようわからん無政府状態。食のアナーキー。


泣きながらおそるおそる食べてみたものの、案外いけたのでびっくりした。

無政府状態とは言ってみたが、いちおう「セーフ」だった(、、ごめん)。


僕に料理の才能は無いなと改めて思ったが、今度は見た目がビューティホーなものを作りたい。


こんな才能の無い僕に、誰か"粘り強く"指導してくださる方、おられたらお教え下さい、ネバーギブア(以下略) の精神で取り組みますから。


ところで、「くだらんダジャレの連発はやめんかい」とお思いでしょうが、どうかお許しを。やっぱりこの内容だとしつこく粘っこくやるのが筋かと思ったゆえ。

わかりますよ、この記事おもんないですよねぇー。でも心配はご無用、あまり振るわないこの記事はもうオクラ入りさせますので。

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5月30日 日曜日


やや二日酔い気味であったが、早朝に大阪を発ち、急遽父の故郷に行く事に。


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考えたら、もう3年も訪れていなかった。

たぶん、この日を逃してしまうと「次」は無いかと思い、祖母と祖父の墓前に挨拶に行った。
 
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特定の宗教は信仰せず、基本的に無神論者の僕ではあるが、

ご先祖の霊魂と、その精神的な紐帯は信じている。


見たことも無い神様を信じるよりは、同じ世界を生き、同じ時代に生きた人間の魂や記憶、それらが完全に消えてしまうはずが無いと考えるほうが、生きている限りはかえって現実的だと思っているからだ。

 
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近くの線路を歩いた。


祖母が16年前に亡くなった時に、この線路を俯きながら歩いたことを思い出した。


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2歳下の従妹が、知らない間に3児の母になろうとしていた。

「結婚は人生の墓場」「結婚なんかしないほうがいいよ」とは良く聞く話だけど、自分の子供をかしずく従妹の姿はほんとうに幸せそう。


従妹の長男は4歳だが、やたらと僕になついてきた。

男の子だけあって、電車などの「のりもの」が好きみたいだ。


「おじさんはねぇ、現在幅を利かせているJR東海の700系や共同開発のN700系なんかより、ラディカルで鋭利なデザインだったJR西日本の500系しか"21世紀の新幹線"として認めてないんだよ」と話していたら、従妹が「ちょっと何言ってんの…」てドン引きしていた。


ガキ同士の会話に大人が口挟むんじゃねーよ、ボケ。

 
 
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夏の到来を告げるかのような綺麗な青空と眩しい陽光を浴びていると、ちょうど列車が通った。


枕木の上を渡りながらオーディオプレーヤーで桑田佳祐の「真夜中のダンディー」を聴く。 はじめて聴いたのが確か中学生の時だったはずだが、この曲はいまでも大好き。


「可愛い妻は身ごもりながら可憐な過去をきっと憂いてる」

という歌詞で泣きそうになるのは僕だけだろうか?(決してヘンな意味ではなく)

僕に可愛い妻はおらんが、それでもこんな洒落たノスタルジアを紡げる言葉とその感性に、色彩豊かな余情を僕は覚えるのである。


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「両親の故郷」というのは否が応でも自分の子供の頃を思い出してしまうのだが、それは良い思い出だけでなく、消してしまいたいぐらいの悪い思い出も、平等に埋められた場所である。

でも、だからこそたまには帰って改めて思い出さないといけない場所なのだとも思っている。


そうこうしているうちにあっという間にもう6月。

今年の夏は暑そうですね。


エアコン(クーラー)解禁!



幕間だけの天井桟敷-愛してるって言わなきゃ殺す


今週月曜日。

何とか仕事を終えて、21時に心斎橋へ。

旧友がやってる、"ハンドウォーマーズ"というバンドのライブを見る。

焼酎バーのメロウな雰囲気とバンドの温かい音色がマッチしてて、けっこう楽しめた。


家への帰り道に、橋の上でなぜか思いっきりコケた。そこらへんの女子高生にプッて、ピアニッシモで笑われた。


「何笑っとんねん!これは透明人間の仕業じゃ!」と言い返しそうになったが、キイ、キモイーッ!!とか言われながら、絶妙のタイミングで110番をチョイスされそうな気がしたので、思いとどまり家に帰って、悔し恥ずかし朝帰りという気持ちを必死に抑えながら、うつ伏せで寝ることにした。

爆睡したけど。 


火曜日。

なぜか自分の家の玄関から、エレベータの間の通路のど真ん中にウ○コが放置。朝っぱらからこういう掟破りなトラップは、勘弁してほしい。しかもスケール感とホヤホヤ感から見て、絶対に人間の。


長年住んでたけど、こんなことは初めて(2回以上あってもイヤだが)最初、リアルなコンピュータグラフィックかと思ったぐらい。

帰り際にボーッとしてたら、結局踏んだけど。


水曜日。

仕事をとっととエスケイプして、西梅田のハービスエントにある「イルムス(ILLUMS)」へ。


2年前に北欧を旅して以来、僕はこの店のハードユーザーなのですが、スカンジナビア(北欧)のグラスウェアやデザイナーズ商品を中心にした品揃えは、なかなか食指をそそるものばかり。

マリメッコからイッタラ、ムーミン(アラビア)、ロイヤルコペンハーゲンまでいろいろ。可愛すぎるからマリメッコは買わんけど。


それでもハードユーザーがゆえに、食器とかグラスとか、気に入ったデザインのものをちょこちょこ買っている。「結婚した時には役立つしな!!」 って思ってるもんなんで。

 

結婚する予定ないけど。


木曜日。

2週間ほど前にコンパした女の子から、なぜかメールがはじめて来る。なぜにこのタイミング?


いつもは、「恋愛なんか遥か遠いアンドロメダ星雲のむこうの話」だと、心のボトムにあるパンドラの箱を五寸釘で打ちつけ、"質量÷体積"では測りだせない程の、密度の高い重しを括り付けているのだが、それでも、こういう展開になってもあまりピンと来ないのは、想像力や信念が足りないのか、何となく人としてダメだと思う。 


もっと、こう、

「人間とは○○なのだ」 みたいなのを、サラリと言える素敵な大人になりたい。


今んとこ、何ひとつ思い浮かばんけど。



本日金曜日。


半分トランス気味な状態で、街をてろてろ歩いていたら、ふと誰かに声をかけられた。


「あ、もしかして○○くん?」


声を掛けてきたのは、むかし僕が好きな女の子だった。

さっき、五寸釘がどーのとか言いちぎった手前、しのびないのだが、 これでも、小中高と思春期が咲き乱れてる時は、いろんな子に恋したことがあったのだ。


それにしても、昔と変わらない笑顔と物腰。そういう面影がしっかり残ってて、「いい意味で変わってないなぁ」 と思っていたら、「あんたぜんぜん変わってないねー」と言われる。30年間アホのまんま。


聞くところによると、もう結婚して、子供もいるらしい。

もっとゆっくり話したかったけど、僕も仕事中だったし、その場で別れた。


でも、なんでか物悲しくも無かったし、別に名残惜しくも無かった。


人として大切な、何かを切り開こうとする前向きな姿勢やエネルギーと、あの若かった時代から確かに10数年を生きてきたのだという時間の重みが、その子の佇まいや話しぶりから感じ取れたこと、そして、あの時の自分の眼に、やはり間違いは無かったのだと思い、それがちょっとだけ嬉しかったからだ。


今日は、なんか家で独りで静かにいたい気分。

そうだ、ちょっとだけ昔の思い出に浸りながら、今日はお洒落にワインでも飲もうか。



ワイン無いけど。



幕間だけの天井桟敷-鏡の国の戦争


5月某日


「戦争だ。 戦争をしましょう」 


この謳い文句に興味をそそられ、僕は仕事を鬼のように早く切り上げて、平日に京都のアトリエ劇研まで、「鏡の国の戦争」という芝居を見に行った。


冒頭のフレーズもそうではあるのだが、この芝居に僕の大学時代の友人が出演しており、当人からお誘いをいただき足を運んだわけでもある。


お芝居の観劇は実は5年ぶりぐらい。

それぐらい、働き出してからは"芝居"という文化が、僕にとっていささか敷居の高いものとなっていた。


70分ちょっとの長さであったが、内容には非常に満足。

原作からはえらい離れているらしいが、それは違う見方をすれば、見せ手側の解釈を突き詰めていったオリジナリティが作品にきちんと出ていたという顕れだろう。


しかしだ、出演していた僕の友人がもう芸暦12年にも及ぶらしい。

はじめてその友人の芝居を見たのが、大学生だった10年前。

その頃と比べると、役柄の魅せ方や間の取り方など、もちろん素人には詳しくはわからないのだけれども、10年前から格段に進歩しているのが、開始3分ぐらいでひしひしと感じ取れた。


一つのことを突き詰め、長い年月をかけて、やっていくことのいかに大変なことか。


物事というのは、「創り上げる」「やり遂げる」よりも「創り続ける」「やり続ける」というほうがはるかに難しいのだと思う。

人は一瞬だけだったら誰でも"冴える"ことがある。少なくとも僕がそう。


ふと斬新なアイディアやアプローチが浮かんで、それがやる気というエネルギーに昇華し、作り上げたものが賞賛されて評価されたこともあっただろう。だけども、その"冴えた"状態、つまり一瞬の覚醒を保持するのが、進化していく途上では最も難しい。それは思い立った時や、興奮状態の時に生まれることが多いが、いつでも消えてしまう。


だからこそ、持続力という努力を発揮できること、つまり努力できることそのものが「才能」なのだと思う。

そういった素養の過程こそが、いわゆる"アーティスト"としての本当の才知・才覚であり、一流を一流たらしめる努力の結晶なのである。


では、僕はどうだろうか? 

その「才能」はきちんと根付いているのだろうか?

何十年と対峙した信念や物事が僕にはあっただろうか?


「ぼくいま病気ですねん」 「最近忙しいんよねぇ」という逃げ口上の使い方だけは、下手に歳を取って上手くなったのかもしれない。

とはいえ、逆境であるからこそ、たまには性根を据えてそれを打ち崩しに行かないといけない。



鏡の前に立って、あまり冴えない自分自身を映してみる。


「戦争だ。 戦争をしましょう」


鏡の前に映った顔を見て浮かんだのは、この言葉だった。


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・非常に小じんまりとしたマルタ国際空港


いまさら旅行記、というか写真集です。

2009年5月に訪れた地中海の島国、「マルタ共和国」の写真を適当な湯加減でUPしていきます。


「マルタって、あのイタリアのマルタ島?」

「サックス吹く人だよね、マルタって」

など、何かと誤解が多くも一般的な知名度は他のヨーロッパ諸国に比べて薄いマルタですが、れっきとした主権ある共和国です。だけども人口は40万人程度。面積は淡路島の70%弱という小さな島国。


なので、日本からの直行便などあるわけもなく、、、私の場合、ドバイでトランジット、んで中東シリアの西にあるキプロス島でなぜか一度途中降機して、20時間というマンガみたいな時間をかけてようやく到着しました。


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・首都ヴァレッタの目抜き通り、リパブリック通り


首都が置かれているヴァレッタも国の人口と比例し、小さな街です。

中心部である旧市街は車は基本的に入れず、写真のメインストリートも歩行者天国のようになっています。


しかし5月初旬というのに、召されるかっちゅうぐらい暑い。

後光が射すぐらい日差しがもう強烈。殺意のバカンス。


幕間だけの天井桟敷-マルタ3  

大通りから一歩入った路地でこのようにガラッと雰囲気が変わります。

地中海の蒼さを遠景に、「マルタストーン」と呼ばれるハチミツ色をした石造りの建物が所狭しと建ち並び、中東やアフリカのカラーが少し混ざったかのような、"ヨーロッパ"にしては少々異質な感じ。 


海と空の青色と建物の色のコントラストが強く、まるで映画の舞台のよう。

「ほんとに21世紀の街?」って思うぐらい。もちろん良い意味で。


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・私が拠点にした宿


1泊5000円もしないところでしたが、目の前に海と街を見る事ができて、大満足。


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・部屋から見た風景


街歩きする前にホテルの鍵を預ける時に受付のおっさんに、「今日の夜9:30にはホテルに戻れよ」と言われる。

「なんで?」って聞いても「まあいいからっ!!」って感じでごまかされてたので、「いやぁ、誰かに告白されんのかなー」とポジティヴシンキング特急が暴走していたのですが、実際にホテルに戻って屋上に行くと、


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なんと花火大会でした!

なんか1年に1回行われる大きなイベントらしく、こちとら全く以ってイベント関連は事前にリサーチしてなかったので、思わぬ誤算。



外国で花火大会を見るのは初めてだったのですが、こっちのは音楽に合わせてリズミックに打ち上げはってました。しかもオペラ調のちょっと怪しげ演目。

"花火"と言えども、西洋ではあくまでエンターテイメントの一つなのでしょうか。日本のような「侘しさ」「はかなさ」に代表されるような"情趣の感性"とは明らかに一線を画した魅せ方が特徴的でした。


幕間だけの天井桟敷-マルタ7

・夜の街を彩るパレード


てなわけで夜遅くまでてんやわんや。


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夜も更け、腹が減ったのでステーキを。

と言ってもこちらは牛や豚ではなく、「マグロのステーキ」 


地中海、特にマルタはマグロの養殖が有名で、日本にも多く輸出しています。

さすがに現地なので、このようにステーキのような大きなポーションでも美味しく、かつお財布にも優しい!!嬉しいお手頃価格でした。

値段忘れました。


※その2へつづく

 
幕間だけの天井桟敷-マルタ11

幕間だけの天井桟敷-鉄路


・5月4日 火曜


ローマ滞在最終日。

リラックスしようと市内の大きな公園のベンチで日なたぼっこをする。

外国ならではの公園の雄大なデザイン、優雅さに心が自然となごむ。


しばらくすると、遠足か何かなのか、女子中学生ぐらいの歳の団体ご一行がやってきて、目の前でキャアキャアと遊び出した。

僕はただベンチに座ってただけだというのに、この瞬間から「公園で休息している観光客」から「遊んでいる女の子たちを見つめる不審な東洋人」に自動的に設定変換された。


なんというイッツ・オートマチック。そばに居るだけで変質者扱い。

猛烈に居たたまれなくなりその場からすごすごと撤収。 なんか死にたくなった。


そんな哀しいローマの休日。


・5月5日 水曜


19時間かけてイタリアから無事に帰国。

1週間ぶりの、むせ返るほどのナニワな光景に、「旅の終わり」を改めて感じる。

異国の地を歩きに歩いたので足がマメまみれ。加えてヘトヘト。30歳になって体力が落ちているのか、、、、もう20代の頃のような、その場の勢いに任せる旅をするのも難しいのかな。

向こうではほとんどピザとパスタしか食べてない暴飲暴食ライフだったので、晩御飯の米の美味さが身に沁みる。


イタリアで飲んだワインがかなりいい感じだったので、お土産にワインを1本買ってきた。誰かうちに遊びに来たら一緒に飲みましょう。ぼく、独りでワイン飲んだら制止が利かなくなって、すぐに記憶がフォーマットされるのであかんのです。


・5月6日 木曜


GW(現実逃避ウィーク)明けの仕事量が、これまたハンパない。膨大な数の書類にタコなぐりされてしまう。処理しても処理しても次から次へとFAXが一心不乱に送られてくるというものすごいグルーヴ。

結局は帰りは真夜中に。旅の疲れも癒えないままだったので、そのままPCのキーボードの前でばたんきゅう。


・5月7日 金曜


朝起きたら、キーボードの凸凹が顔面にくっきり。そのまま文字入力出来そうなぐらいヴィヴィッドに。違う意味でブラインドタッチできそう。

 

夜は、中学時代の友達と1年ぶりに飲みに京橋へ。

ひっさしぶりだったので、やんややんや話が弾むも、当方途中で疲労のためスリープ。


うーん、、、ほんと情けない。我ながら「5歳児かお前は」と呆れる。せっかくの時間を台無しにしてしまった。ごめん。


・5月8日 土曜


ようやく本当の休日。この日は昼過ぎまでたっぷり10時間ほどグッドスリープ(略して"ぐっすり"。はい、すいません)

むくりと起きた後、気分転換に家の周りを自転車でパトロール。公園でひと休みしようと思ったが、ベンチの前で子供たちがキャアキャア遊んでおり、そこはかとないデジャヴに襲われ、家に帰って今度は違う意味で寝た。


むくりと起きた後、体重計に乗ったら、あんだけイタリアで歩いたというのに2kg太ってた。ピザってカロリー高いもんなぁ。

上腕部なんか特にポニョポニョ。余分に摂りすぎたカロリーが二の腕の振袖になってしまったというわけだ。


んなわけで今月は旅行もしたことだし、もうお金も無いし、とうぶん引きこもります。

そう、無い袖は振れないのだ(ある意味あるんだが)

 

 幕間だけの天井桟敷-upsidedown superman


というわけで、地味に前回の続きであるのだが、 「ん」一文字だけでもバラエティに富んだ変化を経験できるこの世の中、 ひとたび上下が逆さまになると、冒頭の画像のように、その人の命に関わることとなる。いやはや、スーパーマンも木から落ちるのだ。ただし、"木"レベルでは無い、壮絶なめり込みっぷりですが。


しかし身体とはまた違い、文字の振り分けが変わってしまうと、たとえ日本語であっても、どうやって読むのか判らなくなるものもある。こんなふうに。

 
幕間だけの天井桟敷-すとつぷ


読めそうで読めないこの店。とてもじゃないが活字では発音を表現できない。

「すつぷ?」 「すとつ!ぷ?」 ああもうわからん!誰か僕の悩みを止めて!


悶々した気持ちを抱えながら、夜の千日前を歩いていたら、いかにもなネオン通りにたどり着いた。


幕間だけの天井桟敷-性別転換

別にどーでもいい細かいことだが、看板をよく見ると、ものすごい変わりようを標榜するお店がある。


幕間だけの天井桟敷-性別転換

「まき」から「とし」へ。


こ、、これはすごい。事もあろうに性別自体がCHANGEしてはる。


よけいなお世話とは思うが、いったいなにがあったんだろう、この店に。さすがにママ(パパ?)が変わっちゃうと客層自体もCHANGEするのだろうか?

なにはともあれ、良くも悪くもカオスCITY・大阪。変わりっぷりが尋常ではない。


そうそう、その大阪ではかの有名な「ルイ・ヴィトン」が喫茶店を展開しているのだが、みなさんご存知だろうか。


幕間だけの天井桟敷-ルイヴィトン喫茶店


うわぁ! これは360度どっからどう見ても爽快なまでにルイヴィトンのモノグラムのパクリである。  

だがよく見てみると店名は「ラヴ」。L+Vでラヴ

なるほど、愛さえあれば、この際もうなんでも許されるのか。知らなかった。


いやいや、でもこの店のように、大胆不敵なまでなパクリの精神というのも大事なのかもしれない。

愛など恋など、いつの時代だって奪い奪われるもの。

特に色恋沙汰なんかは、待ってるだけでは成就しないのだ。たまには強引に奪いに行くぐらいじゃないと男としての名がすたれるではないか。


当ての無い待ちぼうけをずっとしてるようじゃ、こんなふうに変わり果てますよ、そこのあなた。


幕間だけの天井桟敷-骸骨のひととき