幕間だけの天井桟敷

幕間だけの天井桟敷

  
  適当な湯加減で書いています

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「とおりすぎてもいいんですか」

 

なんというアヴァンギャルドな店名でしょう。店の看板が問い掛けてくるという斬新なスタイルはもとより、いたずらに人を不安にさせるような良いお湯加減の物言い。

心に響くのを通り過ぎて心臓に響くレベル。

これまでの人生の大事な局面・チャンスにことごとく気づかずに、通り過ぎ"過ぎ"て、香ばしい38歳に成り果てた自分にとっては耳をつんざくような言葉だ。

 

というのも、野球に例えるならば、僕の人生の打撃成績はほとんどが"見逃し三振"だったからである。逆イチロー。ノーヒットノーラン。

 

「石橋を叩いても渡らない、むしろ引き返す」を、喜んで座右の銘にしていたTHE・チキンを地で行く僕のような人間には、本当に打つべき球がわからない。

ストレートど真ん中!のような打ちごろの球が放り込まれても、「どうせ直前でカーブするんじゃないのか?」とか、「急にホームベースに穴が開いて球が吸い込まれて消えるんちゃうの?」と訝しがってしまう。

 

それでいて、結局は土壇場になって焦っちゃうので、最終的に難球・悪球を引っ掛けては、ボテボテで出来たてアツアツのゴロを量産するわけです。

 

確かに、物事を進めていく上で試行錯誤は大切。

ただ、僕の場合は考えすぎて失敗する「思考錯誤」。

英語に置き換えると、トライアル&エラー。

僕の場合は、トライセズ&相手のエラー頼み。

 

そうは言ってみたものの、そんな自分の人生もそろそろ折り返し地点。イニングで言うと5回表あたり。

感触的に3万アウトぐらいは軽く積み重ねて来たけど、やはり心のどこか奥底では、タイムリーヒットやホームランだってたまには打ちたいわけで。

 

だから、それがたとえ打率0割0分1厘であっても、人はその僅かな可能性に賭けるはず。その僅かな可能性の追求の積み重ねで、世界の文明や科学も発達して豊かになってきたわけだから。

 

そして、野球では、「三振!アウト!バッター交代!」が当たり前だとしても、己の人生のプレイヤーにおいては究極的には自分一人だけ。そこには代打も代走もいない。

ラインナップも、1番オレ、2番わたし、3番わい、4番おいどん、5番拙者、6番まろ、7番小職、8番あちき、9番わらわ。どこまで行っても全部自分。

 

つまるところ、当たり前の話ではあるが、「自分の人生は自分に責任がある、自分が面倒を見なければいけない」ということだ。なので監督もワテ。

 

だからこそ、能力や出自の差はあれども、誰しもがドラフト1位で指名されてこの世界に生まれてきたわけだから、簡単に諦めてはいけない。

長い人生、時には不条理な審判のジャッジがあったり、ダイナミックな乱闘や愉快な観客たちの闖入もあるだろうが、それでも諦めてはいけない。

グリーンウェルのように7試合で帰国するなんてもってのほか。ガルベスみたいに突然キレて審判団に剛速球を投げちゃうハードボイルドさもダメ。

逆転満塁サヨナラホームランもありうるこの世界、人生という名の銀幕では、9回の裏・スリーアウトになるまでは、決して諦めてはいけないのです!諦めたらそこで試合終了ですよ!って、あ、これはパクリになっちゃいましたね。やっぱりスリーアウト!!

 

 

そんなアホな妄想に血道を上げながらゴリゴリ歩いていたら、うっかりお客さんの会社を通り過ぎてしまっていたことに気づく。

同行してくれてた会社の子に呆れながら、

 

「もーう、通り過ぎてますよ~、しっかりしてくださいよ!」

 

と言われてしまった。  

 

親身なご忠言ありがとう。

でもそんな言葉も、しっかりと僕の右耳から左耳へと通り過ぎていきました。

 

 


もはや不定期にしか更新しないこのブログ。

久々にまとまった時間があったので、気まぐれに書いているわけなのだが、いきおい何か書こうとしても、マトモなトピックすら思いつかない。


まあ、私ほどダメ人間っぷりが濃縮果汁還元された人間もいないので、そういう意味では安心と信頼の通常営業。
伊達や酔狂で36年間もおっちょこちょい人生を歩んでるわけじゃないゆえ、もはや感覚が麻痺してノーマルな人生ってどこにあんの?と、皆目わからなくなってしまう。

仮に「全日本ダメ人間コンクール」とかいうのがもしあったとしたら、もう私なんか、各方面から白羽の矢が立ちすぎて、すぐさま全身蜂の巣にされていることでしょう。
というわけで、そんな悲喜こもごもの反省をしつつ、蜂の巣と化した穴だらけの身体と人生を抱えながらトボトボ歩いていると、怪しげなラーメン屋が降臨した。


のんき屋2

うわっ、これは衝撃的!

この建屋の香ばしさ、完全に時空が歪んでいる。
さすがに地球上で2番目にポンコツな僕も驚かざるをえない。そしてラーメンではなく「ンメーラ」。時空が歪みすぎてもはや別次元。アナザ・ディ麺ション。
ここでラーメン食っちゃうと、ポンコツランク2番から1番に登り詰めて、文字通りホントに壊れてしまいそうだ。

それに「地球上で2番目にうまい」という、謙遜なのか不遜なのかよくわからない、いたいけな謳い文句も胸の深いところをくすぐってきはる。

実は本当に地球NO.2なうまいラーメンなのか、あるいは、「あー、この地球上にはラーメン屋って2軒しか無かったのね」と思ってしまうのか、身も痺れるアルテマな2択。

前者なのか、後者なのか?これはンメーラ好きとしては行きたくなる。いや、むしろこんな面白物件はそうそうお目にかかれないので、地球上で2番目の速さで勝手に身体が店に吸引されていくと表現したほうが正しいと思う。


のんき屋3

吸引途中に、サイドからお店を見てみる。おぉっ、店の奥行きがこれまた薄すぎるではないか。これも地球上で2番目の薄さなのだろうか。

ラーメンのスープも地球上で2番目に薄っぺらかったらどうしよう…と余計な心配をしつつ、意を決して半泣きになりながら、入り口らしきドアを開けていざ入店!


ドアを開けてみると、眩暈を覚えるほどの高温の室内。そして、即座に自分のメガネが真っ白に曇り視界がゼロ化するというおまけイベントも発動。なんというスパルタンな熱帯雨林気候、いろんな意味での「マイナスイオン」が、こん限りあふれてらっしゃる。


ふと目線を下にやると、ほんとにすぐ目の前にいきなり椅子+カウンター。ゆとりを感ゼロのウェルカム加減。その椅子と入り口ドアの間は人っ子一人すら満足に通れない壊滅的な狭さ。

つまるところ、どこかのドアを開けた瞬間に、己の席次がオートマチックに決まっちゃうという、新しいタイプの椅子取りゲームみたいなもの。全てが斬新すぎて奮えが止まらない。


よく飲食店のアピールで、

「お客様と店員の距離が近いアットホームなお店です!」

みたいなフレーズがあるが、それはいわゆる心理的な側面・距離感を売りにしてるのであって、こんな爆発的な物理距離の近さでそのアットホーム感をゴリゴリとアピールしてきよるとは末恐ろしい。


さらには、見渡せば、黒く煤けたカウンター、悠久の時を経てヴィンテージ化されたコショウ(胡椒)の容器、中身の入ってないセピアがかった色の箸袋。もう、もはや老舗というより「魔界」


次から次へと襲い掛かるお店のアヴァンギャルドなスペックに内心ビビりながらも、

「2番じゃダメなんですか?」と言った、いつかの某議員さんの様なクールさを飽くまで装いながら、サクッと着席して「ンメーラ」をオーダー。


そう、ここは「ラーメン」ではなく「ンメーラ」ときちんと発音。これが正解。コアなラーメン好きの、漢としての流儀である。


店主には何もツッコまれず、若干のインターバルを置いてから「はいな」とだけ言われる。心なしか、一瞥されて眼鏡の奥がギラリと鋭く光ったようにも見えた。
そうこうすると、3分もしないうちにンメーラが着丼。


のんき屋4

不必要な緊張感を胸にたぎらせながら、麺とスープをすすってみる。

うーむ、地球上で2番目にうまいと標榜するだけあって、確かにオイリーで、物凄い勢いでスープの塩気が蜂の巣まみれの己の胸に染み渡る味わい深い一品。

舌をつんざくようなケミカルな刺激感が何とも言えない。


ほとんどサブリミナルな状態でそのままンメーラを吸引していると、常連とおぼしき50代メンズが入店、そして彼のメガネも、やはり一瞬で真っ白に曇った。もうここはパワースポット。
 

いや、しかし、ラーメン屋を1300軒以上訪れた私でさえも、これほどまでのインパクトあるお店は初めて。お勘定を済ませたのかすらも思い出せないぐらいの放心状態で、気づけば夜の帳が下りた博多の街を僕はフラフラと歩いていた。


そんな地球上で2番目にディープな経験の余韻に浸りながら、後日に別の街を歩いていると、ついに「1番のラーメン屋」まで見つけてしまうという負の連鎖が、こういう時に限ってしっかり発生しちゃうのである。


フレンド

まあ、ここもしっかり食べたわけですが、宇宙一おいしいかどうかは、また別の話。


幕間だけの天井桟敷-鬼歯車


気づけばもう師走の12月。

ブログも3年近く更新してなかった。そしてその3年の間にものすごい速度でダメ人間になった。日々、失敗と恥じらいの繰り返し。穴があったら入って暮らしたいほどのレベル。


そりゃ自分の日頃の行いがよろしくないゆえの結果だからというのはわかっちゃいるけど、自分のやったことがこんなに鮮やかに自分に返ってくるという、これほどまでの一流のブーメラン使いになるとは思いもしなかった。


というよりブログはやめたんだけど、何かの偶然か、最近何人かの方に「ブログ再開しないの?」 と言われたので、気まぐれに更新してみようと思う。


さて、本題ですが、表題の写真。

前にも自分のSNSのどこかでアップしたかもしれないが、「鬼歯車」というインパクトある看板。

ただの歯車ではちょっと…的なことから、鬼をつけることで凄みを出したかったのだろう。


そもそもこの鬼という言葉、英語で言ういわゆる「very」という意味になることもある。

今でこそあまり言わないかもだが、「鬼美味い」「鬼怖い」とか、とかく表現を強調したい時に使うのだろうが、いかんせん何でもかんでもこの「鬼」をつけたりするのをはじめ、最近の言葉の乱れといったらヒドイものがある。


最近の若い子なんか、なんでもかんでも「やばーい」と形容したりするのもその悪しき例。
嬉しくても「やばい」

怖くても「やばい」

感動しても「やばい」

君らには語彙の豊かさは無いのか!と我々30代の人間も鬼怒りの状態で若者たちにやばいぐらい鬼説教したくなるもんです。ほんとやばいよ最近の世の中!


話がやばいぐらい豪快にズレたが、鬼歯車というので思い出したのが、以前に知り合いから聞いたエピソードである。


仕事の商談で、刀鍛冶の工房に行ったのだが、そこに「鬼軍曹」と呼ばれるベテランの刀鍛冶さんがいらっしゃった。


刀鍛冶の仕事はかなりシビア。刀を打ち付け、研ぎ澄ますための、本当の意味で火花を散らす刀との真剣の戦いとも言える。その中でも鬼軍曹と呼ばれるその方の仕事ぶりは凄まじく厳しいものがあるらしく、弟子が入っては辞め入っては辞めという状態が続いていたらしい。


そんな鬼軍曹に、恐る恐る「こういう仕事って、10年やらないと一人前になれないもんなんですよね?」と訊いたら、こんな答えが返ってきた。


「いや、10年やって、やっと向いてるか向いてないかわかるんや」


な、なんという想像の100歩先を行くぐらいの絶望的なコメント。もはや回答のクオリティまでもが鬼軍曹レベル。

まあ、職人さんのお仕事ってそれほど厳しいということなのかもしれない。


まさにローマは一日にして成らず。

そりゃ来年の事を言えば鬼も笑うわなっていうもんです。



幕間だけの天井桟敷-バニーキック


 

非常に唐突で申し訳ないのだが、ずいぶん前に「バニーガールのおねえさんたちがいっぱいいるガールズバー」に行ったことがある。


いわゆるキャバクラなどの類の店ではないので、あくまで「バー」なのだが、これまた客の男比率がものすごい、いやていうか100%。 この世に100%な物事は無いと常日頃思っていたが、ここだけは間違いなく完璧に100%。そんな純粋培養メンズとバニーズが狂喜乱舞して戯れるサイケな楽園である。


で、ひとたび煙草を吸おうとすると、すぐさまそのバニーなねえさんが、胸の谷間にしのばせているライターをサッと取り出して客の煙草に火をつけるという冗談のような冗談のイベントがそこかしこで散発する。

その際、ハートにも火をつけられてしまった一部の顧客は、その日から煙草を握り締めて一心不乱に通い倒す常連客へとステージUP!しはるのだ。


ちなみに、1杯820円(バニーの語呂合わせ)という、最初から最後までどこまでもバニーな、ええ湯加減の値段設定だったと思う。 10杯飲んだら10バニー、いや知りませんが。


そんな事を思い出しながら、仕事で訪れた和歌山市内を歩いていると、道の上に落とし物が。

 
幕間だけの天井桟敷-バニーさん1

 


む? ぱっと見ではよくわからない。

ただならぬ予感がしたので近くまで行ってみる。 

 
幕間だけの天井桟敷-バニーさん2


なんとウサギちゃんが道端に放置されているではないか!


しかも「えへっ、やっちゃった」みたいな感じで舌を可愛くペロリと出しているが、実際にヤラれてるのは紛れもなくこのウサギちゃんであり、それも片耳を豪快にLOSTしてしまっている。

というよりそもそも交通安全啓発の看板にしてはリアルすぎるし、ウサギちゃんの煤けぐあいと年季の入りようが、よりいっそうデッド感を助長させている。


恐るべし和歌山県。 こんなオブジェを素で置いていったいどうしたいのだ。

 

だからなのか、このあとJR和歌山駅から次の目的地の橋本駅までの切符を買ったら、見事に820円だったそんな僕はええ具合に呪われてるんだと思います。


幕間だけの天井桟敷-新宿

 

先週の土日に東京へ小旅行してきました。


いくつになっても思うけど、こういう旅の醍醐味の一つはなんと言っても、新幹線に乗ること。もっとジャストに言えば、「新幹線の椅子で寝ること」。

ややもすれば家で寝るよりも爆睡できてしまう。さすが最新のテクノロジーの粋を集めた日本の新幹線である。恐るべし。


東京到着後、諸業務の処理のために、昼下がりから新宿・歌舞伎町へ。


歌舞伎町は誰しも認める日本一の歓楽街。「不夜城」と形容されるだけあって、昼時にも関わらず、"お水"の香ばしさがそこかしこに。
てか、東京って桃色系の客引き自体、条例で禁止されていないのだろうか?
数メートル歩くごとに、次から次へと客引きがゾンビのごとく出現する始末。もはやダンジョン。


んでまた、この客引きが壮絶なまでにしつこい、、、


「そこのお兄さん!今なら45分間を特別料金で楽しめますよ!どうですか!」


うるさいなぁ。

ただでさえそういうのに行かないのに、こんな真っ昼間から好き好んで誰が行くかっちゅーの。


「良い娘が揃ってるよ!みんなもんのすごいサービスするよー。お兄さんすぐに昇天しちゃうよ!」


いや"昇天"て。そんな簡単に召されてたまるか!30年生きたけど、これでもまだやり残したことがあるんですがな。


「お兄さん!そんな険しい顔してるけど、ホントはおっぱい大好きでしょー、顔に書いてますよ!」


おかしいなぁ、朝起きた時にちゃんと消してきたはずなのに…って書いてるかい!

"顔に書いてる"って、どんだけ遠慮の無い助平やねん。ありえへんわ!



新宿駅のトイレで顔をしっかりと洗ってから、その後、大学時代の友人たちと新年会をするため、銀座のしゃぶしゃぶ屋「安曇庭」へ。


昔話に花を咲かせながら食べるしゃぶしゃぶの美味さに感動。肉そのものが持つ滋味の豊かさがハンパない。そして、やっぱり仕事などのしがらみのない友達がいる事に心が安らぐ。学生時代の友人は本当に貴重なのだと改めて思う。

 
幕間だけの天井桟敷-肉5人前  

楽しい時間はあっという間。ほどなく2次会モードとなり、ほろ酔い気分で銀座から麻布十番へ。

大学の別の友人が描いた絵の個展が麻布のinfocuriousというバーで展示されてるのでその見学。

 
幕間だけの天井桟敷-infocurious


天井は配管剥き出しの打ち放しデザインに暗めの照明。飾られている絵を楽しみながら、バー自体の瀟洒な雰囲気に興が乗り、知らない間にボトルワインを2本も開けてしまう。ワインを"たしなむ"どころか、飲みすぎだよお前と"たしなめられそう"。いいけど。


盛況のまま同窓会も解散し、世田谷の友人の家にて宿を世話になる。しゃぶしゃぶを相当食べたというのに、寝る前に近くのラーメン屋で1杯失敬。んで、消灯。のち起床。翌朝、品川の大井町でまたラーメンを食べる。

しかもあまりに腹が空いていたので、3分で出来上がったラーメンを3分で食べきってしまう。


いったい僕の胃袋は、どういうシステムになっているというのだ?

顔に正解書いてるやろか。


午後には東京駅へ。帰りも新幹線の椅子で爆睡する。なんか、もはや違う意味で椅子にジャストフィットしてしまっている。


なんでこんなに寝心地が良いのだろう?

顔に正解書い(以下略)

 
幕間だけの天井桟敷-ginza

幕間だけの天井桟敷-紳士たるものかくあれ


最近、折に触れて「彼女いないの? えーなんで?モテそうなのにー」というお決まりの言葉をよく言われる。


それに対しての杓子定規な答え方にもけっこう飽きてきたので、ここ最近は「ええ、モテません。また来世でがんばります」ってテキトーな事を言ってるのだが、よく考えたら年齢はもう31歳。

世間的にはいい湯加減の大人なのだが、僕の場合は年々精神が崩壊していっているのか、大人の階段登るどころか、階段の途中でけつまずいて転がり落ちて、さらにそこからフリーフォール(自由落下)している感じ。


そもそも僕たち30代メンズは、ひとたび気持ち悪くなろうと思えばいくらでもなれるデンジャラスなゾーンにいる。 

特に個人的には10代絶頂の中学生という高エネルギー体と関わることがある身ゆえ、いつ「うわ、おっさん臭っ!」と言われるようになるのか、もう不安で不安で、夜な夜な壁に頭を打ち付けては血みどろになっているわけです。

 

一方で、誰かに恋する気持ちがその人を若々しくさせるとはよく聞く話だが、

そんなトキメキ、もっと言えば、「誰か(周り)に見られているという事を意識する」という心持ちが、若さを保つための大事なエッセンスではなかろうかと思う。

もちろん自意識過剰にならない程度で。


「すぐそこのコンビニ行くだけやし、もうええわ、寝間着で行ったろ」

「昨日と同じネクタイでいっか、誰も見てないしね」

「今日は朝起きるの遅かったし、電車の中でお化粧しちゃえー。 変わるわよ!(本当の意味で)」


こういうポンコツな意識がすでにダメなのである。

日常に潜むこのような一瞬の油断、緩慢こそが、知らない間に人としての色気や若さを奪い取ってゆくハニートラップなのだ。

そもそも30代の漢たるもの、常にご近所の噂好きなマダムたちに一挙一動をロックオンされてるかもしれない、ビューティホーな女の子が落としたハンカチを拾って、「あの、これ落と(以下略)」みたいな事を常日頃から脳内マーケティングして、魂を荒ぶらせながら一日一日を生き抜かないといけないのだ。


そういうわけで、とりあえず僕はパンツ一丁でブログを書く癖をやめようと思う。
 

幕間だけの天井桟敷-山陰1

1、2月は毎年暇なはずなのに、んもうコテンパに忙しかった! おかげでショッピングにも行けず、デートにも行けず、仕事もろくにせず、ただただ時間に追われる楽しみゼロの日々。まあデートはもともとゼロなのだが。

そんな2ヶ月だったが、実はこの土日にお泊まりで日本海へカニを食べに行った。

なんといっても久しぶりの旅行。ふだんは"基本一人旅"スタンスゆえに、「誰かと行く旅行」がけっこう新鮮なのと、久しぶりに土日がまさかの「丸二日どフリー」という超絶ミラコー状態だったので個人的にテンションは狂おしいまでにスカイハイ。

おかげで行きの車内であまりのピッチで喋りすぎ、目的地に着く前には疲れ果てて551が無い時なみのローテンションに。
もう少し例えるならば、息も絶え絶えだったチビマリオが突然スターをゲットし、調子に乗ってBダッシュかましてたら、そのままやんごとなく穴に落ちてしまう感じである。

そうこうするうちに夕刻前には目的地の民宿に到着。
チェックインを済ませ、さっそくひとっ風呂を浴びる。
湯上がってからほどなくして夕食タイム。お目当てのカニ料理がガトリング砲のごとく次々と容赦無く運ばれてくる。

幕間だけの天井桟敷-山陰2

幕間だけの天井桟敷-山陰3

幕間だけの天井桟敷-山陰4

いやはや、さすがカニの本場。ボリュームの凄さもさることながら、都会で買って食べるカニとはやっぱり味の質が違う。

フルコースを堪能した後、あったかいお茶が出されてひと休み。
厠で用を済ませ、僕もお茶をいただこうと席に戻りふと茶碗を見てみると、なぜかお茶の底に「たくあん」がフローティングしているではないか…。

そもそも今回一緒にカニを食べに行った人たちは、笑いのためなら自ら池にロケットダイブしたり、毒舌を撒き散らしたりと、お前らは「お笑いウルトラクイズ」かっちゅうぐらい、自らの体を張る(人生を賭ける)事を全くもって厭わないちょっとどうかしている人たちである。 

つまりはこの「たくあんfeaturingお茶」というパンキッシュなギミックも彼らの仕業なのは間違い無いわけで。
茶目っ気のあるイタズラのつもりだったのかもしれないが、実際に飲んでみるとええ湯加減でたくあんの味がお茶に染み込んで、なんとも言えないスーパーノヴァなフレーバーが漂う。飲んでいくうちに悲しく…いや、哀しくなる。日本海の荒波のようにゆらゆらと去来するエレジー感。この虚しさはいったい何。これを飲んでいるのを見られたら全米が泣きそうだ。 

というわけで、たくあんのエレジーをみんなで噛み締めるために、散歩しがてら夜の日本海へ。

幕間だけの天井桟敷-山陰5
・日本海に浮かぶ夜空をあおぐ

このへんの夜空はさすがに綺麗。いつも見る星空は、街のネオンの光に夜の持つ本来の明るさが隠されているだけに、改めてこの星空の多さに見とれてしまう。(※写真をクリックするともう少し星が綺麗に見えます)

にしても、冬場のほろ酔いの夜歩きってけっこう好き。体の火照りと外気の寒さがうまくミックスして、何とも言えない独特の気持ち良さがあると思う。

翌日、民宿を後にして、蕎麦でその名を馳せる出石(いずし)へ。

幕間だけの天井桟敷-山陰8
・城下町である出石の街並み

「全都道府県を制覇」が唯一の身上の小生だが、意外にも出石は初訪問。
ちょっとばかし観光という名の世俗化が目に付く街並みではあったが、こじんまりとして悪くはない。
ひとかた観光を済ませ、旅のしめくくりとして蕎麦にTRY!

幕間だけの天井桟敷-山陰10

出石蕎麦は、基本はこのように皿そば形式。この写真を見ると圧巻だが、複数人で食べたので1人あたりの量はそれほどでもない。
個人差はあるが、10皿食べると腹八分しっかり溜まるぐらいのボリューム。

ただ、観光地の蕎麦なので、どこの店も"いかに食べてもらうか"ということにドッグファイトばりのエネルギーを注いではるみたいだ。

「隣の店は手打ちちゃうよー。うちのは本物だよー」という胸元えぐるネガティヴキャンペーンから、なーんにも客引きをせずとも行列ができる名店(おそらく)までレンジは幅広い。
5皿1人前が基本スペックだが、追加注文で1皿ずつ増やせるようオプションを設定したり、2人前からは割引になったりと店によってサービスも種々様々。

ちなみに大食漢の人は、記念にこんなものもお店から貰えたりします。

幕間だけの天井桟敷-山陰11

「えーっ、20皿以上も食べたの? けっこう大食いねぇ」と思われるかもしれませんが、なんとこれ、1人あたり20皿以上食べてないのにお勘定時に、「これ記念にどーぞ」とフツーにサービスで支給されたのである。いや、それはそれでどうなんだろう…。 

てなわけで明日からは押しも押されぬ「そば通」という事でやっていこうと思います。てへっ。 文句あるやつはお茶にたくあん入れるぞ!


※3月はがんばって定期的に更新してゆくつもりです。よろしくお願いします。

幕間だけの天井桟敷-At a Restaurant in Onomichi

今年は週に1回はブログを更新しまっせ!と意気込んだものの、すでに1ヶ月が経過。なんという時間の流れの早さ。これ何かの間違いちゃうのと思うほどの素晴らしいまでのLOST感。2011年こそはマジメに生きようとスタートダッシュを試みていたが、ダッシュどころかむしろ逆噴射。

というのもですね、新年仕事始めからわずか3日目で風邪になっちゃいまして。
新年早々から風邪引きになるなんて、たぶんよっぽど仕事に行くのが嫌だったんだろう。体は正直。その証拠にまだ今も治りきってないのである。

そういうわけで1月は基本的にどこにも行かず、誰とも遊ばず、灰色の日々。風邪ということもあり、体力もやる気も性欲も全て枯山水庭園状態。リアル竜安寺。
脳内ではディズニーランドばりの夢と魔法の世界を24時間365日間たくましく妄想しているだけに、アクテイブに動けない自分がかなりもどかしいのである(いやある意味、妄想だけでおなかいっぱいなので、これはこれでいいのかも、、、)

というわけで、なんかアホなこと書いたろと思いつつパソコンを立ち上げたものの、なーんにも思い浮かばない。とりあえずは、風邪をきっちりと治すのがまず先決なんだろうか、、、、そういう神様のおぼし召しなのかも。

そう思いながら街角をちゃらんぽらんに歩いていたら、こんな看板が。
どうやら最近は駐車場にも神様が宿っているようだ。


幕間だけの天井桟敷-神モータープール

熱も下痢も喉も治ったんで、あとは鼻水だけ。ロマンス…いえ風邪の神様、この薬でしょうか。

今年もダメ人間から脱却できなさそうですが、遅ればせながらも今年もよろしくお願いします。

幕間だけの天井桟敷-胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ

なんというあっと言う間の2010年!
実はまだ部屋の大掃除が終わってない!

昔のちょっとやりすぎなイタイ写真や、顔からヨガファイヤ…、いやヨガフレイムが噴き出そうな卒業文集を読み返しているうちに、H2Oよろしく「想い出がいっぱい」状態になって遅々として進まんのです。ほんともう、いったいどこにあるというのですか僕の大人の階段。

そういうわけで、今年も最後の最後までダメ人間のハイウェイを突っ走りました。
年の初めは上々な滑り出しか、、、と思いきや、3月に地下鉄にクラッシュし左足を負傷して「病院」という名のパーキングエリアへ入場。

それからあれよあれよと言う間に、腫瘍やら腎臓に異変が発生し(というかモトモトからだったのだが)、パーキングエリアどころかサービスエリアへしっかりピットイン。

このまま永久にサービスエリアに居るのは嫌だったので、ハイウェイを一度抜け出し、5月にイタリアへ一人旅。

ナポリでピッツァ・マルゲリータを最初に発明した店に行き、本物がもたらすあまりの美味さなマルゲリータの破壊力に、目からウロコが2億枚ほど落ちそうになった、いや落ちた。

帰国後、このまま黙ってハイウェイに戻っちまおうと軽く屁をこきながら油断していたら、もう一度病院という名のサービスエリアから召喚状が。
素っ裸にされたあげく、ありえへん場所にありえへんモノを入れられる精密(?)検査を受け、いちおう異常無しの結果を貰ったが、この日の出来事が数ヶ月ほどTRAUMAになって違う意味で「異常」に。
というよりNO麻酔であんな検査が存在するとは。
ほんとヘンな意味で驚愕。世界FU・SI・GI発見。

ようやくいちおう健常状態に戻ったと思ったのもつかの間、9月の終わりに、大切な人が亡くなってしまった。
年末年始は実家に来て、テレビを見ながらお酒を飲み、そうやって家族みんなで楽しく過ごした歳月を、この再びめぐってきた年末の歳時に改めて偲ぶ。


その幸せがいつの間にか当たり前だったと思っていたいつかの日。

「辛い」と「幸せ」は字が似ている。たった一本の横線があるかないかでこうも違う。本当に辛い思いをした人が本当に幸せになれるのだろうか。もちろん真理はわからない。でもそれがそうであって欲しいと、今は思いがまだ胸の奥で少し滲む日々。

この前の日曜日が百か日の法要。
百か日は「故人への悲しみのために泣き暮らしていたのを泣き止む日」という事を僕は前に友人に教えてもらった。それを僕は話した。

「幸せっていうのは…」
その後に言葉を繋げることなく、むこうのご家族の方が笑って話すのを止めた。

後に続く言葉はなんだったのだろう?
たんに考えがまとまらずに話すのをやめたのかもしれないが、いまじっくり考えると、そのあとの言葉をあえて紡がないことで、あれはある意味、「いまを生きる人」への究極の問いかけのようにも思える。

そういう私の2010年。
私に関わってくださったみなさま、本年もたいへんお世話になりました。
2011年も引き続きよろしくお願いします。

最後になりましたが、先に逝った人たちの遺志を胸にしまいながら、行く年に想いを馳せ、来たる年にたくさんの希望がありますよう。

そして、 「幸せっていうのは…」、そのあとに続く2011年のそれぞれのハイウェイを走り、それぞれの言葉を紡ぐであろう、「いまを生きる」人たちに胸いっぱいの幸せを祈って。
 

「どっからでもかかってこいやぁ!」

内心ビビリながら、店の暖簾を勢い良くくぐってみる。

幕間だけの天井桟敷-富山3

おおっ、よかった! 店内もいたって普通の感じ。
早速メニューを見てみる。
麺は「中華そば」のみの一本勝負。 小(並)、大、特大、とサイズが選べるだけのストイックレパートリー。

うむ、よろしい。
珈琲専門店を謳う喫茶店が「焼きそばはじめました」と、手作り感満開の張り紙を知らぬうちに店内に貼りだして没落してゆくように、品数を無闇やたらに広げて、いったい何屋やねんっとツッコミたくなるような残念な感じの店とは違う。本物の匂いがする。

迷う間もなく、「中華そば 小(並) 700円」をオーダー。
「あいよぉー」と昼下がりの主婦系店員さんの心和む相づちから待つこと約5分、お目当ての中華そばが運ばれてきた。

幕間だけの天井桟敷-富山4

うーむ、がっしりとしたソリッドなヴィジュアル。

幕間だけの天井桟敷-富山6

では、早速いただきます!
一口目の麺とスープを口に運ぶ。

……………
「☆$ж£㌦㍾!!!」

一口目からまさかの64メガbpsぐらいの猛烈な早さで塩辛さがダウンロード。
細かくは覚えていないが、たぶんぼくなんかちょっとした奇声を発したと思う。それぐらい今まで食べたラーメンの"塩辛さ"とは完全に別次元。

富山ブラックは、もともと肉体労働者の方々の塩分不足を補うために考案されたらしいが、個人的な感想を言わせてもらうならば、「補う」どころかこれは完全にオーバーフローの分量。「ソルティー」とかそんな生易しいものではなく、むしろ「ソルト」そのもの。 しかもチャーシューやメンマまでもが塩の味に完全征服されている始末。
表向きは「醤油ラーメン」を標榜しているが、これむしろ本当の意味で「塩ラーメン」だったとしてもあながち間違いではない。

誤解無きよう、お店の名誉のために言っておくが、スープ自体の香り、出汁の豊かさや麺のしっかりしたコシの良さなど、ラーメン自体のスペックとしては素晴らしいのだ。レベルは高いのである。ただ、いかんせん「塩分の分量」という考え方のところで、えらく珍しい物差しを持ってはるというだけなのだ。

後半あたりになってくると本気(マジ)で緊急事態。あまりの塩気に、舌が勝手に自然発火。
もうこれだけの塩辛さだったら、バシルーラ喰らって大阪まで一瞬でフライアウェイさせられても文句は言えない。それほどまでの亜空間なテイスト。

おお、ラーメンの神様、以前の名古屋の激辛ラーメンから、いったい僕をどこに持って行きたいというのですか、はっきりおっしゃってください。

しかしですね、ある一定の時間内において水を飲む量を競う種目があったとしたら、この時の僕はおそらく世界一だったと思う。
その証拠に、店を出てすぐに富山駅でTOILETに直搬入。んで、すぐに大阪に向かう特急サンダーバードに乗ったのだが、合計で5回も用を足しに車内のトイレに入り浸るありさま。それだけ腎臓がフル回転して、排尿を促進させたのだと思う。

もはやラーメンの神様どころか「トイレの神様」状態。
この感じだと年末の紅白歌合戦に白組として出場して、植村花菜さんとガチで勝負できるような気がします(ないない)。

というわけで、この年末は汚い私のお部屋と腹黒な心を掃除します。